【レガシー・カンパニー】メモリアルアートの大野屋
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トップインタビュー
自らの内なる声に素直に耳を傾ける。自分自身を変革して経営と事業を継続
株式会社メモリアルアートの大野屋
東京新宿に本社を置き、墓所・墓石の販売から、葬儀や仏壇・仏具の販売、保険などのサービスをワンストップで提供するメモリアルアートの大野屋。書道家・武田双雲氏とのコラボレーションによる墓石彫刻サービスや、手元供養の新提案(オリジナルジュエリーシリーズの展開)などユニークな商品開発でも知られる。「遠くの親戚より近くの〝大野屋さん〟」をモットーに成長を続ける同社の継続の秘訣は、社長自らの変革にあった。

インタビュー

常識にとらわれない変革は、メモリアルアートの大野屋のDNAなのだろう。多磨霊園裏門前で後発の石材店として創業したのは、1939年。当時、墓石は需要が多かったため、ただコツコツと商売を続けていれば安泰だった。しかし創業者は、ただの墓石販売にとどまらず、寺院と共同で霊園の開拓を始めるなど、商売の幅を大胆に広げた。その後を継いだ2代目は、さらに変革を押し進めた。4代目である大澤静可は、父親である2代目をこう形容する。

「親父は、この業界を〝半纏から背広に変えた男〞と言われています。伝統は守りつつ、職人
気質の残る業界を、合理的な企業体が活躍できる業界へと革新したのです」

大野屋ホームページ

その代表的な一つが、1969年にスタートした建墓ローンである。きっかけは顧客のニーズだった。突然の葬儀で費用が不足する顧客のために、墓石購入ローンを開拓したのだ。当時はまだローン自体が未発達の時代であり、担保がないという理由で金融機関からはなかなか受け入れてもらえなかった。だが、ある地銀の理解によって開始したところ、顧客の反応は上々で、これが生前建墓の需要の引き金になり、同社が急成長する要因となったのである。

このほか2代目は、1973年に、石材業界では日本初のテレビCMを開始するなど、常識にとらわれない戦略を次々に打ち出し、社名を広く世の中に浸透させた。

「世の中にないものを生み出し、強烈なリーダーシップで結果を出したことによって、社内だけでなく、業界でもカリスマ的な存在でした。業界全体の発展なくして会社の成長はないという考えから、同業に呼びかけて一緒に事業を行うこともあった」

その後、事業は3代目の社長(長兄)に受け継がれた。長兄は米国滞在経験があり、建墓・葬儀費用に備えた保険や生前予約を考案した。この時も、国内の保険会社からは「けんもほろろ」の扱いを受け、外資系の保険会社がようやく受託。実際に販売を開始すると、保険会社が驚くほどのヒット商品になった。世にないものを生み出すDNAは受け継がれたのだ。

社長就任後、精神的な重圧に押しつぶされる

大澤静可は4代目の社長である。次男であり、当初は社外で働いていたが1985年に入社。各部署を担当しながら、物流の変革など、社内事業の〝スクラップ&ビルド〞を果敢に実行した。その実績が評価されて1999年に社長就任。順風満帆と思いきや、就任直後、思いもしなかった病に倒れた。8カ月にわたる長期入院、社長復活までに約2年の月日を要した。

「社外では、建設会社のタフな現場で働いてきた自負はあったのですが、大野屋の社長に就任した途端、その重圧に耐えられなくなった。事業は順調だったのですが、社員とその家族のすべてを支えなければ、という精神的な重圧に押しつぶされてしまったのかもしれません」

大野屋大澤社長

父親の代までは、いわゆる創業系の「オレについてこい」式の経営方針でうまくいっていた。だが時代が変わり社員が増えると、組織を統率する経営手法が必要になる。

「振り返ると、当時の私は、すべての社員を掌握しようとしてあがいていた。だが同時把握は7人くらいが限度。そこで社長復帰後は各部署に〝七奉行〞を立て、彼らを育てることで社員一人ひとりの能力を伸ばす、つまり七奉行に事業を託すという方向に転換したのです」

任せてみると、考えてもみなかった発想が社員から出て来ることもあり、「こっちのほうがよかった」と思えるようになった。七奉行とは、同社の主な事業のラインのトップに立つ人間で、経営企画本部、管理本部、セレモ事業部、墓石事業部、物流本部、関西支社などを受け持つ、執行役員のこと。いずれも大澤が抜擢した人材だった。

「任せるけれど、放りっぱなしにはしません。〝待つ勇気〞を持って、預けておいて遠くで見ている。その距離感が大事で、要するに自己判断することを覚えさせたい。判断ミス自体には怒らないけれど、報告のタイミングが遅くなったら、かなりきつく叱ります。それを繰り返していくと、判断能力が次第に向上する。やがて彼らの判断が自分と近くなってくる。微妙なズレを修正しながら、さらに判断を続けさせる。その結果、安心して各部署を任せられるようになり、ようやく自分が〝外の世界〞に出られるようになったのです」

それまで顔を出すことも少なかった業界の組合総会などに出席するようになり、役職を担って活動するようになった。異業種交流にも積極的に参加するようになった。そしてあらためて外から会社を見ることで、視点の取り方が変化した。さまざまな出会いが生まれ、その中から中長期経営戦略「大野屋10年プラン」が生まれ、未来から現状を俯瞰できるようにもなった。

だが、社内の経営スタイルが確立したところで、今度は事業が大きな岐路を迎える。2007年度、それまで順調だった決算で赤字を計上、経営の危機が訪れたのだ。

時代の先を行き過ぎて赤字を計上、永続企業への分岐点

原因は、多大な先行投資だった。大澤が提唱する〝リビング葬〞の実現のために、都内に大型の葬儀施設を立ち上げたが、集客が思うように伸びなかったのだ。

「今から思えば、変革が時代の先を行き過ぎていた。当社のコアである墓石事業を差し置いてまで、こちらに経営資源を投入したために、収益のバランスが崩れてしまった」赤字の翌年度から、矢継ぎ早に事業の統廃合を実行、ひたすら利益を出し続けることに専念した。ボーナスが減っても社員は離脱せず、全員が一丸で経営を立て直した。以後7期連続して黒字を達成、金融機関からの信用も取り戻した。

大野屋手元供養

今、同社は再び軌道に乗り、新たな展開を始めている。例えば「手元供養」のための新サービスの開発。故人の遺灰や形見などを身近に置いておくための、小さな容器やペンダントなどを制作し、多様化する供養のニーズに応えたのだ。これが顧客からの評判を呼んでヒット、商品性を前面に立てて同業他社にも物品を卸すようになった。

「会社を存続できたのは、当社のDNAである変革を恐れなかったこと。でもいちばんの変革は、自分自身が変わったことかもしれません。その結果、各部署でトップに立つ人間たちの質感が向上した。質感というのは、その人間の表現力や思考力、事業に対する姿勢のようなものです。今はそれを土台にして、さらなる事業の継続を図っています」

代表プロフィール 大澤静可(おおさわ しずか)

1959年、東京都出身。成蹊大学経済学部卒。三井建設を経て、1985年メモリアルアートの大野屋入社、取締役就任。専務取締役、副社長を経て、1999年代表取締役社長最高執行責任者、2007年代表取締役社長最高経営責任者(CEO)。趣味はゴルフ、水泳、マジック。

会社概要

商号株式会社メモリアルアートの大野屋
所在地〒163-0638 東京都新宿区西新宿1-25-1新宿センタービル38F
TEL03-6863-4111
代表者大澤静可
資本金12億1,232万8,000円
創業1939(昭和14)年
社員数332名(2015年1月末時点)
事業内容墓所・墓石の販売、墓所造営、葬儀、仏壇・仏具の販売、保険
ホームページhttp://www.ohnoya.co.jp/

※ダイヤモンド経営者倶楽部編「レガシー・カンパニー」(2015年8月発刊)より修正転載

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