【レガシー・カンパニー】箔一
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トップインタビュー
受け継いだものづくりの心を原点に、箔を通して伝統の可能性を現代に引き出す
株式会社箔一
北陸新幹線の開業でにぎわう金沢駅。構内の店舗には、工芸品やお菓子、化粧品など金箔をアレンジした商品が無数に並び、いまやお土産の定番となっている。しかし金沢の金箔は、その歴史において長く〝材料〟でしかなかった。そこに独自の視点で切り込み「金沢箔工芸品」の分野を確立したのが箔一だ。箔が持つ可能性を、現代のニーズに合わせることで、新たな市場を次々に開拓。伝統とものづくりの技術を未来へ継承するべく力を注いでいる。

インタビュー


加賀友禅、九谷焼、輪島塗、山中漆器など、石川県には日本を代表する伝統産品が非常に多い。これは加賀藩前田家が、茶の湯の指導や茶道具を通して美術工芸の育成に力を入れてきたことを源流とし、今なおその精神は脈々とこの地に受け継がれている。

国内生産の98%以上を占める金沢箔も、その代表的存在の一つだ。特筆的なのは、1万分の1ミリと言われるその薄さ。10円玉の約半分の金を、畳一枚分まで延ばすことができる卓越した技術はまさに匠の技。金沢郊外の国道沿いにある箔巧館では、このような箔の歴史や技術を、さまざまな展示や実演を通じて伝え、実際に箔貼りを体験することも可能だ。

箔一外観
※金沢箔の歴史・文化を五感で体感できる観光施設「箔巧館」

箔一は、この箔巧館の運営に代表されるように、金沢に新たな箔の文化を創造し続けてきた企業だ。創業したのは1975年と、伝統産業の世界においては、実はまだ歴史が浅いが、箔職人を夫に持つ専業主婦だった先代(現会長)が、わずか一代で今の地位を築き上げてきた。

「伝統産業は分業が確立されており、箔職人は箔を打つだけが仕事。用途も仏壇仏具用がほとんどでした」。創業当時を、そう説明するのは2代目の浅野達也。「そこで会長は『これだけの材料をつくれるのだから、商品も自分たちでつくればいいのではないか』、そう考えたのです」

箔一創業時
※創業間もなくのころの箔一店舗。写真中央は創業者(現会長)の浅野邦子氏

しかし先見性高いこの発想も、しきたりを重んじる業界の中では非難と嘲笑の対象でしかなかった。そのため見様見真似で自ら工芸品をつくり、東京や大阪のデパートなどに持ち込み営業を続けた。この時「ものづくり」「売り場」それぞれのリアルな現場を、身をもって体感してきたことが、同社の独自のビジネスモデル構築に、大きく寄与したことになる。

その後1976年、全国で初めて金箔打紙製法注※1によるあぶらとり紙を開発し、これが大ヒット。同社の存在を広く世に知らしめることになった。

箔一、金沢箔、それぞれの未来に可能性を感じたからこそ継承した

「生きるために無我夢中だったのが実際のところだったと思う」と浅野は会長の当時の気持ちを推し量るが、一方で「非常に大きな世界観を持っている経営者でもあった」という。

例えば「箔一」という名前に込めた、先駆者としてのプライド。「金沢箔工芸品」を全国に通用するブランドに育てようとするこだわり。いまや金沢の伝統産業のシンボルにもなった「箔巧館」を、当時の年商とほぼ同額の投資をしてまで立ち上げた英断。食用金箔、化粧品など、全く新しい箔の用途を、次々に開拓していったこともその一つだろう。

このような第一人者としての自負は、現社長の浅野にも確実に受け継がれている。「伝統産業は衰退産業と言われがちですが、私はそう思わなかった。当社のビジネス、箔がつくりだす世界、いずれにも強い可能性を感じていました。だからこそ後を継ぐべきだと思ったのです」

箔一浅野社長

しかし、カリスマ的存在だった会長の後を継ぐのは、並大抵の苦労ではなかったようだ。「剛腕なだけでなく母性にも溢れ、社員の面倒見がよかった会長の存在感は圧倒的。さらに入社後は何かを任せられることもなく、後継者と言えど、社内には私の位置がなかったんです」

そこで考えたのが、何よりも意欲を見せること。「当時は毎夕一人で工場内を掃除していました。それを見て無視するのか、手伝おうと声を挙げる人がいるのか……。『絶対みなを振り向かせてやろう』そんな心意気でしたね」

さらに、それまで手薄になっていた業務に自ら乗り込んでいくことで、自分の居場所を確立していった。それは例えば、ITであり、人事であり、品質管理の領域だった。

「ずっと家族主義的な会社でしたから、『頑張っていれば十分』のような雰囲気があったんです。しかしそれでは生き残れないと思い、入社早々から採用を仕切っていきました」。社長になるまでに約10年、早くから将来を見据えた採用を手がけてきたことは、その後の大きな財産になっているという。

一方、「攻めは強いが守りは弱い」。そんな懸念もあった。「何かトラブルがあった時に対応する仕組みや、説明するためのデータがないなど、企業体としての力が弱かったんです」

そこで浅野は、特に品質管理を最重要テーマと考え、伝統産業の世界では珍しい、ISO9001などの認証取得を積極的に行った。その後同社が、日立やプラチナ万年筆などとの幅広い商品コラボレーションを実現したこと、最近の大きな柱である箔建材事業を成長させてきた背景にも、この時確立した「大企業が求める品質水準」が大きな武器になっている。

特許戦略にも力を入れた。これは「倒産寸前の絶体絶命の危機があった、その当時の反省からだ」という。品質も特許も、同業他社が競合にならない、相見積りにすらならない競争力を追求。第一人者としての地位を強固にすることに全力を注いだのだ。

伝統産業の武器はあくまでもものづくりの技術

箔一商品
※金沢箔の艶やかさや美しさを活かした金沢箔工芸品

「箔は伝統産業のポータル要素を持っている」と浅野は語る。「例えば、漆器、陶器、木工、織物さらには日本酒まで、箔はどの分野でも使われます。あらゆる伝統産業をつなぐ性質を持った伝統産業、これは箔にしかない個性ではないでしょうか」

また箔をアレンジするだけで、和を感じさせることができる。「商品の中に伝統的な和の要素を取り入れたい」という企業ニーズの受け皿として非常に重宝される存在なのだ。

「職人的な文化の強い伝統産業の世界と、現代的感性で経営される大企業、その双方を媒介することで、今までになかった新たな可能性を生み出していく。伝統と先進、機械と手作業、合性と情緒性、さまざまなものをハイブリッドする、それが当社の強みなのです」

そのために大切なのは、やはりものづくりへのこだわりだ。「規模が大きくなっても、私たちはあくまでも伝統産業の世界の一員です。用途やデザイン、売り方などは時代に即して進化させますが、使う材料、技法は受け継いでいくべきだと思っています。ITやシステムが有効に機能するのも、すべてはものづくりの実力があってこそなのです」 

最近は金沢を訪れる外国人も顕著に増加し、同社の商品も非常に人気が高いという。さらに香港をはじめグローバルに展開する環境を整え、新たな時代を迎え撃つ。「世界に誇る和文化の象徴として、金沢箔のブランドを高めていくこと」、それが同社の次のミッションだ。

※1 金箔打紙製法 金箔製造の副産物であった和紙が、京都の舞妓に愛用されていることに着目し、それまでの金箔製造の副産物を「あぶらとり紙」専用の紙として製造したもの

代表プロフィール 浅野達也(あさの たつや)

1968年、石川県金沢市出身。法政大学工学部卒業後、米・ワシントン州立大学国際経営学科へ進学。1995年箔一に入社。専務取締役を経て、2009年5月代表取締役社長に就任。

会社概要

商号株式会社箔一
所在地〒921-8061 石川県金沢市森戸2-1-1
TEL076-240-0891
代表者浅野達也
資本金5800万円
設立1977(昭和52)年
創業1975(昭和50)年
事業内容金沢箔の製造、販売/金沢箔製品(テーブルウェア・インテリア・食用金箔・化粧品)の開発、製造、販売/建材装飾の企画、デザイン、施工/観光施設の運営
ホームページhttp://www.hakuichi.co.jp/

※ダイヤモンド経営者倶楽部編「レガシー・カンパニー」(2015年8月発刊)より修正転載

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